図書館から借りた「いつもキャッチボールが教えてくれた 55の言葉で読むその不思議な力」※という本を読みはじめました。

〈はじめに〉を読んだところで既に「そうそう、そうなんだよね」と思うところがあったので紹介させてください。

 

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(以下引用)

 思い出していただきたいのだが、キャッチボールはコミュニケーションそのものである。父と子の、兄弟の、友人同士のコミュニケーション、言葉のいらない不思議な会話である。

 人と人とのコミュニケーションだから、キャッチボールには社会性の基本のようなものも当然含まれている。ボールは相手が捕りやすいようにと、胸元に投げ込む。これは「思いやり」であろう。暴投したら「ゴメン!」という。これは「マナー」であろう。相手が暴投しても黙ってボールを拾いに走る。これは「ルール」であろう。いい球がきたら思わず「いい球!」といいたくなる。これは相手を「評価」し「尊重」するということだろう。相手の技量や性格を推し量ることができる。これは相当な「自分認識」だろう。ボールが当たれば当然痛い。これは「危険認識」ということだろう。・・・

 

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本書にはプロ野球選手やその家族、一般の人方々のキャッチボールにまつわる思い出のようなものが書かれています。

たかがキャッチボール。

されどキャッチボール。

 

いつも練習のはじめには必ずキャッチボールがあります。

子どもたちがキャッチボールを通じて何かを学び、それが彼らの人生をいっそう豊かなものにしてくれることを願わずにはいられません。

 

追記

一気に読み終えました。

最後、筆者の義妹のエピソードはちょっぴりロマンティック、そしてドラマティックで、でも「なんとなくわかる、その感じ」と一瞬鳥肌が立ちました。

 

※佐藤倫朗:「いつもキャッチボールが教えてくれた 55の言葉で読むその不思議な力」,東洋経済新報社,2001年